一高生活
現在の東京大学教養学部の前身にあたる旧制第一高等学校(一高)の寮生たちの生活の様々を収めた作品で、1935年に農学部との敷地交換により駒場に移転する前の本郷(向ヶ丘弥生町)時代の貴重な記録である。やがて去ることになる学校の姿と年中行事を映像として残すことは寮生たちによって企画された。参考文献(『向陵時報』各記事)の記述から、撮影されたとみられるものの、元素材では確認できない行事があることが分かる。また10月の日光での野外演習(行軍訓練)の途中に、7月の山中湖畔の合宿風景が挿入される形になっているが、そのままの状態で公開する。
作品詳細
- 作品番号
- ST000199
- 映画題名
- 一高生活
- 映画題名ヨミ
- イチコウセイカツ
- 製作年月日
- 1930
- 時間(分)
- 33
- サウンド
- サイレント
- カラーの種類
- 染色
- 製作会社
- 松竹キネマ株式会社
- フィルム映写速度
- 18
- 備考
- 元素材は、2004年度に一高同窓会より受贈した35㎜可燃性染色ポジフィルムを不燃化した35㎜カラーインターネガより作製した35㎜上映用ポジフィルム。
松竹キネマに製作が持ち込まれた経緯は不明だが、参考文献(『向陵時報』第四號)によれば、一高OBで蒲田撮影所長だった城戸四郎が交渉相手になったことは製作の実現に影響したと思われ、松竹キネマ側の「専任監督」に監督デビューしたばかりの野村員彦(野村浩将)の名前が挙げられている。元素材中の「野外演習」と「富士山麓 山中湖畔 嘯雲寮 昭和五年七月十七日」のように、元々は行事ごとに短篇としてまとめられていたと考えられ、『向陵時報』ではそれらを総称して「年中行事映畫」もしくは「向陵年中行事」としている。題名とした「一高生活」は35㎜可燃性染色ポジフィルム受贈時のリストに準拠しているが、これも本来は「年中行事映畫」に含まれる1篇の題名だった可能性がある。 - 参考文献
- 第一高等学校寄宿寮発行の寮内新聞『向陵時報』に本作に関する記事がある。
「映畫になる向ヶ岡」(第一號、1930年)1頁、「一高を映畫に收める事につき」(第四號、1930年)4頁、「春に浮れる總代會 カメラの前に立って珍景演ぜらる」(第五號、1930年)1頁、「糸毬を撮影 進捗する向陵映畫化」(第七號、1930年)1頁、「映畫の撮影 明夏終了の豫定」(第十號、1930年)3頁、「『あそこに俺がゐるぞ!』人氣を博した年中行事の映畫の第二學期大映寫會」(第十四號、1930年)1頁、「プロマイドになった年中行事」(第十七號、1931年)7頁、「陸上雑記」(第四十八號、1933年)1頁、「秋に相應しい映畫の夕」(第五十三號、1933年)1頁、「盛況の映畫會」(第五十九號、1934年)1頁、「恒例の映畫會」(第六十四號、1934年)1頁、「春の映畫會 好評の「年中行事」」(第七十號、1935年)1頁